2018年6月14日木曜日

武甕槌大神


武士の守護神としての鹿島神宮についてだ。
茨城県立歴史館内部資料の
「茨城県中世史年表」(1968)の、
記述を拾うだけでも、
源頼朝が頻りに、
神威を畏れていたことが分かる。
「吾妻鏡」だけでも次の通りに。

1181年 頼朝、神領を寄せ奉る。 
1183年 同じく。
1184年 鹿島社に怪異あり。
1184年 頼朝、下総権守為久に正観音を画かしむ。
1184年 頼朝、鹿島社領に乱行を禁ず。
1187年 頼朝、常陸鹿島社の供米を多賀以下七郡に課す。
1191年 常陸鹿島社鳴動す。頼朝神馬を献じて之を謝す。

頼朝が幕府を立つ10年前から、だ。
頼朝の強い意思を感じないか。
さまざまな神仏への祈りはあったのだが。
武甕槌大神が、
幕府成立と密接にかかわったとは言える。
やがて、
吾妻鏡から、
頼朝自身と神宮のかかわりの記述が、
次第に消えていく。
その意味は。










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