2018年5月29日火曜日



「ゲーテ・シュタイナー的自然観察法」で、丹羽敏雄は言う。

 植物の観察をひとつの会話のようにすること。
 できるだけ、先入観をもたず、
 対象の中に入り込み、
 対象とひとつになろうとすること。

対象とひとつになるための概念が、
人智学で用いられるエーテルやアストラルという体であり、
熱、空気、水、地の4つのエレメント、
硫黄、塩、水銀の3つのプロセス。
言い換えると、
これらのイマージュで、植物を観る作業だ。

この概念をよく練れば
対象の流れや力とひとつになれる。
植物の生成する力は、
人間の「想像力」にも働いているから。

植物は、天と地をつなぐ。

 花の香りは、
 植物のエーテルと、
 宇宙のアストラルが出合うときに、
 放たれる。

馥りによって、
植物のエーテル力と、
宇宙のアストラル諸力との、
それぞれの花固有の
関係の質の違いを、
知ることができそうなのだ。
前提を変えると、
植物と接することの認識が、
少し変わる。
 
エーテルをなすエーテル界は、
古くから叡智界とも呼ばれ、
この地上であるところの、月下界より
上位にあるより精妙な世界であることを
断らねばならぬが。

さて本日は満月。
昨日そして今朝と、
雨が降った。
満月のアストラルな力が、
土の中に注がれ、
植物は一気に生育が高まる。
ルドルフ・シュタイナーは
「農業講座」で言っている。

鞍馬山によれば、
五月の満月の夜は、
天界と地上との通路が開いて、
あなたの願いがかなう、
年に一度の夜だ。










2018年5月27日日曜日

界隈





五月最後の日曜日に。

長い間、
神々と連絡している、
つながっている感覚、
を求めてきたのであって、
それが失われたときは、
いつも、動揺した。
だが、
これまでにない、
緊密なむすびかためを得ている今、
そうではない。

臨在していると
確かに。








2018年5月25日金曜日

直毘

日の入り


罪と穢れは、自己を損なうのだが、
罪と穢れを、否が応でも意識するとき、が来る。
ある朝突然な、自覚に至るのだ。
突然の自覚は、神的な働きであって、
直毘、
大神直毘、の出現である。

直毘は、
本来の自己を恢復するための努力であり、作用。
その最大の努力は、大直毘と呼ぶ。
大直毘のちからを
自ら出さねばならぬ。

そうすれば、同時に、
内側から沸き起こる、
見えない力である、
「神直毘」の加護が生まれる。

大祓詞からすると、
罪穢れのことわりを理解して、
穢れを代償する「祓え物」を出し、
誠意を表に示して、
「太祝詞事」という祖の神の、神言を、受け入れて、
口も、身も、意も、慎んで、
清く、正しく、許し、むつまじく生きねばと。

そうして祓いは、
意思と信念による、直毘の努力で、
ある日の、天照大御神の出現によって、
成就する。









2018年5月24日木曜日

太祝詞事

千波湖畔の芥子

声が弱く、細くなっているなら、
大祓詞、禊祓詞を大声で奏じるべきだ。
下腹部の分け御霊へ、神を招くのだ。

黒住教の開祖は一日千回も奏した。
祓いを重ね、穢れを去り、
口を慎みて、直毘に至れば
祓戸の四柱の、救いがある。

大祓詞のなかほどで、

 天津祝詞の太祝詞事を宣れ

といって、しばし中断し、

 斯く宣らば

と続くのだが、その間には、
本来は何がしかの神言が挿入されていたようだ。
石上神宮に伝わっていた古い鎮魂法を広めた、
岡田米夫の「大祓詞の解釈と信仰」(神社新報社)には、
対するいくつもの古人の解釈が記され興味深い。

卜部家の「中臣祓抄」では、
秘伝であって、ついに失われた言葉があった、としている。
平田篤胤は「天津祝詞考」の中で、
禊祓詞の原文があったはずだと唱える。
それは、伊勢神宮に残る「一切成就祓詞」。
折口信夫は同意する。
太祝詞の名残ではないかとも。
鈴木重胤は「大祓詞講義」の中で、
「三種の祓詞」ではなかったかと推察する。

 トホカミエミタメ
 寒言神尊利根陀見
 祓ひ玉ひ清め給ふ

岡田米夫はさりげなく、自説。
石上神宮の古い鎮魂の言葉かもしれない。

 ふるへ
 ゆらゆらとふるへ、
 かくなせば
 死れるひとも生きかへりなむものぞ

後年、伯家神道家が「ひふみの祓詞」として広めた。








2018年5月13日日曜日

星のちから



 なんぢ 昴宿の鎖索を 結びうるや
 参宿の 繋縄を 解きうるや
 なんぢ 十二宮を その時々に従いて 引い出し得るや
 また北斗と その子星を 導き得るや
 なんぢ 天の常経(のり)を 知るや
 天をして 其の権力を 地に 施こさしむるや

文語約聖書ヨブ記38章を読むと、
プレアデスの
オリオンの
北斗七星の
ちからがどれほど現実的であるか、
いまのわたしたちにも巡っている、と思わずにいられない。
知りたいのは天の常経。つまり「法則」であることも。

伊勢神宮摂社のひとつに、渡会郡の
天須婆留女命御魂(あまのすばるめのみことのみたま)を祀る摂社がある。
日本書紀には天照大神がしている首飾りの名は、
五百筒之美須麻流之珠(いおつのみすまるのたま)。
古代より、星のちから、と共にあった。
そして天の法則として、空から降り続けている。
星のちからを、信じよ。
そして降ろせ。