2018年6月14日木曜日

武甕槌大神


武士の守護神としての鹿島神宮についてだ。
茨城県立歴史館内部資料の
「茨城県中世史年表」(1968)の、
記述を拾うだけでも、
源頼朝が頻りに、
神威を畏れていたことが分かる。
「吾妻鏡」だけでも次の通りに。

1181年 頼朝、神領を寄せ奉る。 
1183年 同じく。
1184年 鹿島社に怪異あり。
1184年 頼朝、下総権守為久に正観音を画かしむ。
1184年 頼朝、鹿島社領に乱行を禁ず。
1187年 頼朝、常陸鹿島社の供米を多賀以下七郡に課す。
1191年 常陸鹿島社鳴動す。頼朝神馬を献じて之を謝す。

頼朝が幕府を立つ10年前から、だ。
頼朝の強い意思を感じないか。
さまざまな神仏への祈りはあったのだが。
武甕槌大神が、
幕府成立と密接にかかわったとは言える。
やがて、
吾妻鏡から、
頼朝自身と神宮のかかわりの記述が、
次第に消えていく。
その意味は。










2018年6月10日日曜日

ヘルメスの呪文



ライトボディ覚醒化の瞑想を繰り返しているのだが、
朝は深く、入ってゆける。
瞑想は技術だ。
アズライト、あるいは、
ステラビームカルサイトの結晶を握りつつ。

古代の書はすべて神的だ。
「グノーシスの変容」(岩波書店)は、
神を目指す営み、つまりは宗教的行為であふれる。
いくつかのヘルメス文書の断片が収められていて、
ヘルメスの呪文のひとつらしきが、
記されているのを知った。

「第八のものと第九のものに関する講話」の
祈り・賛美・幻視の項。
祈りの言葉だが、
五つの母音の連なりをはさむようにある

 Ζωξαθαζω(ゾークサタゾー)
 ζωζαζωθ(ゾーザゾート)

大貫隆によると、
ヘレニズム末期の地中海世界に広まっていた、
魔術文書の中に出る名 ζω θαξαθαζ (ゾータクサタズ)とよく似ているそうだ。
神名だろうか。

α,ε,η,ι,ο,υ,ωの七母音は、
七惑星を意味していて、

Ζωξαθαζω
α
ωω εε
ωωω ηηη
ωωωω ιιιι
ωωωωω οοοοο
ωωωωωω υυυυυυ
ωωωωωωω
ωωωωωωωω
ζωζαζωθ.

最後のω8個は、
七惑星よりも強い強調表現で、
七惑星を超える「八つのもの」を表すというのだが。
七惑星は七つの場所。
八つ目の場所は、
天使とともに賛美歌を歌う場所、だとはあるのだが。
祈りの、中の言葉ではあるのだが、
求めているものは、
明らかに現世利益ではない。

 あらゆる気まぐれを捨て去ったとき、
 幻視(テオリア)が起きた。

この意味を、いずれ理解できるときが来るだろう。










2018年6月3日日曜日

偶 々

   偶 々
いちびこと いふとほき名が 皿のうへ
菴没羅果(あむらか)の みづ過剰なる くがねゐろ
てごめても 天津甕星(あまつみかぼし) 淸光りぬ
枯野(かれぬ)への 路は是とせぬ 是とはせぬ
月と水銀(ぎん) 蒼き韻ぬち 三郎跳ぶ
甕星の 風たくはへて 華の柄
あじさゐや うすぎぬ群れて 天聖所


 ※いちびこ…苺の古名、菴没羅果…マンゴーの森鴎外訳語、天津甕星…金星、月と水銀…荒木経維撮影の勅使河原三郎舞踊写真集、










2018年6月2日土曜日



加波山の、
西方を向く山麓には、
およそ八百柱の神々が祀られていて、
中心に、星の神、天御中主神がおわしている。
記紀以前よりの古い神々が、
此処に、おわす。

「日本書紀」で、天御中主神が
一書に曰く、とあるは
先住したひとびとの伝承ではこのようにある、
という意味だ。
その書の通りに、
加波山はその神々を祀り続ける。
加波山には、
だから、
北極星信仰、
北斗七星信仰、
が隠れている。

天津甕星は、
時々怪光を顕して、
高天原を惑わす悪神、とされているのだが、
甕という字には、
聖なるものが隠れている。
鹿島神宮の神名は、武甕槌。
平田篤胤は甕星は金星、と書いた。
太陽のかたわらで輝く、小さい炎の意味だ。
日立の阿武隈山系最南の、
大甕山の大甕神社の、その名はなぜ。

加波山、
鹿島神宮、
大甕山の、
トライアングルを俯瞰しよう。
天津甕星の居場所、をどこかに感じないか。












2018年5月29日火曜日



「ゲーテ・シュタイナー的自然観察法」で、丹羽敏雄は言う。

 植物の観察をひとつの会話のようにすること。
 できるだけ、先入観をもたず、
 対象の中に入り込み、
 対象とひとつになろうとすること。

対象とひとつになるための概念が、
人智学で用いられるエーテルやアストラルという体であり、
熱、空気、水、地の4つのエレメント、
硫黄、塩、水銀の3つのプロセス。
言い換えると、
これらのイマージュで、植物を観る作業だ。

この概念をよく練れば
対象の流れや力とひとつになれる。
植物の生成する力は、
人間の「想像力」にも働いているから。

植物は、天と地をつなぐ。

 花の香りは、
 植物のエーテルと、
 宇宙のアストラルが出合うときに、
 放たれる。

馥りによって、
植物のエーテル力と、
宇宙のアストラル諸力との、
それぞれの花固有の
関係の質の違いを、
知ることができそうなのだ。
前提を変えると、
植物と接することの認識が、
少し変わる。
 
エーテルをなすエーテル界は、
古くから叡智界とも呼ばれ、
この地上であるところの、月下界より
上位にあるより精妙な世界であることを
断らねばならぬが。

さて本日は満月。
昨日そして今朝と、
雨が降った。
満月のアストラルな力が、
土の中に注がれ、
植物は一気に生育が高まる。
ルドルフ・シュタイナーは
「農業講座」で言っている。

鞍馬山によれば、
五月の満月の夜は、
天界と地上との通路が開いて、
あなたの願いがかなう、
年に一度の夜だ。










2018年5月27日日曜日

界隈





五月最後の日曜日に。

長い間、
神々と連絡している、
つながっている感覚、
を求めてきたのであって、
それが失われたときは、
いつも、動揺した。
だが、
これまでにない、
緊密なむすびかためを得ている今、
そうではない。

臨在していると
確かに。








2018年5月25日金曜日

直毘

日の入り


罪と穢れは、自己を損なうのだが、
罪と穢れを、否が応でも意識するとき、が来る。
ある朝突然な、自覚に至るのだ。
突然の自覚は、神的な働きであって、
直毘、
大神直毘、の出現である。

直毘は、
本来の自己を恢復するための努力であり、作用。
その最大の努力は、大直毘と呼ぶ。
大直毘のちからを
自ら出さねばならぬ。

そうすれば、同時に、
内側から沸き起こる、
見えない力である、
「神直毘」の加護が生まれる。

大祓詞からすると、
罪穢れのことわりを理解して、
穢れを代償する「祓え物」を出し、
誠意を表に示して、
「太祝詞事」という祖の神の、神言を、受け入れて、
口も、身も、意も、慎んで、
清く、正しく、許し、むつまじく生きねばと。

そうして祓いは、
意思と信念による、直毘の努力で、
ある日の、天照大御神の出現によって、
成就する。









2018年5月24日木曜日

太祝詞事

千波湖畔の芥子

声が弱く、細くなっているなら、
大祓詞、禊祓詞を大声で奏じるべきだ。
下腹部の分け御霊へ、神を招くのだ。

黒住教の開祖は一日千回も奏した。
祓いを重ね、穢れを去り、
口を慎みて、直毘に至れば
祓戸の四柱の、救いがある。

大祓詞のなかほどで、

 天津祝詞の太祝詞事を宣れ

といって、しばし中断し、

 斯く宣らば

と続くのだが、その間には、
本来は何がしかの神言が挿入されていたようだ。
石上神宮に伝わっていた古い鎮魂法を広めた、
岡田米夫の「大祓詞の解釈と信仰」(神社新報社)には、
対するいくつもの古人の解釈が記され興味深い。

卜部家の「中臣祓抄」では、
秘伝であって、ついに失われた言葉があった、としている。
平田篤胤は「天津祝詞考」の中で、
禊祓詞の原文があったはずだと唱える。
それは、伊勢神宮に残る「一切成就祓詞」。
折口信夫は同意する。
太祝詞の名残ではないかとも。
鈴木重胤は「大祓詞講義」の中で、
「三種の祓詞」ではなかったかと推察する。

 トホカミエミタメ
 寒言神尊利根陀見
 祓ひ玉ひ清め給ふ

岡田米夫はさりげなく、自説。
石上神宮の古い鎮魂の言葉かもしれない。

 ふるへ
 ゆらゆらとふるへ、
 かくなせば
 死れるひとも生きかへりなむものぞ

後年、伯家神道家が「ひふみの祓詞」として広めた。








2018年5月13日日曜日

星のちから



 なんぢ 昴宿の鎖索を 結びうるや
 参宿の 繋縄を 解きうるや
 なんぢ 十二宮を その時々に従いて 引い出し得るや
 また北斗と その子星を 導き得るや
 なんぢ 天の常経(のり)を 知るや
 天をして 其の権力を 地に 施こさしむるや

文語約聖書ヨブ記38章を読むと、
プレアデスの
オリオンの
北斗七星の
ちからがどれほど現実的であるか、
いまのわたしたちにも巡っている、と思わずにいられない。
知りたいのは天の常経。つまり「法則」であることも。

伊勢神宮摂社のひとつに、渡会郡の
天須婆留女命御魂(あまのすばるめのみことのみたま)を祀る摂社がある。
日本書紀には天照大神がしている首飾りの名は、
五百筒之美須麻流之珠(いおつのみすまるのたま)。
古代より、星のちから、と共にあった。
そして天の法則として、空から降り続けている。
星のちからを、信じよ。
そして降ろせ。








2018年4月25日水曜日

神威

常陸大宮の山中で
常陸国一ノ宮の鹿島神宮への、
毎月1日に昇殿して参拝していた年月、
同じく二ノ宮の静神社への年月、を振り返ると
強烈に、あるいは穏やかに緩やかに、
わたしの願いは、聞き届けられていた。

願いは、大きな紙に記し、
拝殿の前で、ひそかに広げ、
あるいは祝詞奏上で額突く前に置き、
魂に刻み付けるように繰り返し唱えた。
わたしは真剣だった。

神威は恐るべきものだ。
かなえてくださる。
真剣であればあるほど、
時間を超越したところで、
産霊(むすび)の力を顕す。

懲りずに祈る。
だがその前に、いままでを振り返り、
感謝の思いを、伝えねばならぬ。











2018年4月17日火曜日

偶 々


花梨咲ひて 木星風の いづくより
葉櫻や 黙だせば蕊の 積もりゆく
ひとつきの 氣吹(ゐき)の加速や 榠樝咲く 
木星の 風流れ來て 榠樝咲く
橄欖(かんらん)布留(ふる) 五月の空の 真區(まほら)より
香油採る 素馨(そけい)はとほき れむりあの
五りろとん ほどの五月の 香油採り
橄欖に 鎮もる石が 五月闇
五月雨の 五十鈴やうなる 滴(しづく)哉







2018年4月9日月曜日

偶 々


  偶 々
風呂敷に 春を包むで 結界す
蔓(からくさ)の らせんはじまる 春日かな
ふたたびの 螺旋の生(あ)れる 蔓の
余白とは 満開の花の 其の下の
花の風 言葉はとどかぬ ものと知れ
つつしみて 六喩知りたり 花の日に









2018年3月29日木曜日

青い石

クリスマスローズの朝の庭で

古代ペルシャ語で青い石、と呼ばれた、
アズライト藍銅鉱という宝石貴石の原石を、
両方の掌に包むようにして、
ライトボディ覚醒化の瞑想をするのだが、
深まる。

深まるというのは、
あっという間に、別の意識に入っている意味だ。
通常はここまでいくのはごく稀。
努力しようとしても努力に比例するものではない。
より精妙な意識へのダイビングである。
瞑想から、
この世へと、この次元へ、と働きかけるために重要な石だ。

アメリカの先住民族には
祷りを天上へ届けるための扉と同義だった。
呪術師たちが「星の世界のひとびと」と語り合うときに、
握っていた石だ。
エドガー・ケイシーのリーディングに、
ラピスラズリとして頻繁に出てくる特別な石だ。

もっと言うなら、第三の眼を開く、ということ。
瞑想で得られた洞察、直感は力強く、
従前より容易に、現実を転換させる力がある智慧の石。

気づくと
夜中に、この石は歌っている。
その歌に、
もしもだれかが聴力を持っているなら
それは霊性の上昇、ということ。












2018年3月4日日曜日

 偶 々

偶 々

風(るん)てふ 緋のみづ上がり 紅の梅
春分に 聖方位あり 星之宮
ぷれあです 降りたる夜の 水葵
しりうすの 薄明の閃 鏃なす
いづみ邊は 明星涵し 種子(しゆふぢ)とて










2018年2月24日土曜日

偶 々

       偶 々
波留(はる)來たり くれなゐは顯(た)つ あながちに
晷(あかとき)の くれなゐむめの 霜に凍(い)つ
春の日は 扉の五芒 外したる
狭藍左謂(さゐさゐ)と くれなゐの靈(ち)が むめのはな











2018年2月4日日曜日

聖方位

何がしかの聖性は、長い時を耐えて、残る。
鹿島神宮には「シリウス信仰」が隠れている。
神宮は天の使徒ミトラを祀る、日本のバビロン、だという記述を
栗本慎一郎の「シリウスの都飛鳥」(2005)に見い出した。

ペルセポリスも、
ゾロアスター教のナクシュ・ルスタムの拝火神殿も
原法隆寺も
冬至の夜に、
真南より東へ二〇度傾いた方向の、
空を、遥拝するための、半永久的な空間、だという指摘。

ふたたび、
数千年にわたって維持されている、
聖性とは何か。
その角度の意味は何か。

「真南より東へ二〇度傾いた方向の空」を、
冬至の真夜中に、
オオボシとも呼ぶシリウスを、
遥拝するための「聖方位」。
これがここでの聖性。

その方位から、星のちからを受け取る。
今夕は、
石岡市の波切不動寺で、星供。
空海とともに、シリウスを祀る。
けふより、
新しき歳が始まる。






2018年1月27日土曜日

太陽神託

Begonia
「ヘルメス文書」の記述を知ってから、
事務所が4階にあるので、
水戸駅ビル付近の雲の上から、今は上がってくる、
日の出を礼拝している。

酷寒の時期だが、
それでも5、10分、ベランダから眺める。
いくつかの祈り、いくつかの誓い、いくつかのさけびであって、
それはひとつの儀式のようであるけれども。

眉間に突き刺さる
朝光は、
とても心地よい。
そして確かに一日中、作用している。

作用しているというのは、
人類進化の叡知が、
いかに引き継がれているか、
を否応なく考える喜びの中にあるからだ。

ヘルマン・ベックの「秘儀の世界から」によると、
エジプトにゾロアスターが転生したのが、ヘルメスだというのだ。
ルドルフ・シュタイナーは「神秘学概論」で、
ゾロアスターの弟子のひとりが、受肉したと記述している。

エジプト文明が1万年の長きにわたっていて、
しかも揺籃する時期がなく、
つまりは最初から成熟していた、異様な文明。
探るべきは、星の叡知。

もう、いいのではないか。
秘密とされていることを書くことも。
こうした秘密に出合う度に、
広がる地平に、わたしは満たされる。

想像力は高次の意識の世界にとって、
ひとつの感覚らしいが、
現実の感覚機能であるらしいが、
わたしにとっては、知るべき、書くべき、ことなのだ。

太陽神託のもとで、
ゾロアスターは光の霊の、啓示を受けた。
わたしもまた倣う。
「光の形而上学」が古代ペルシアで興った理由とともにだ。










2018年1月20日土曜日

復 習


星の力を引いて来い-----という導きの声のもとに、
25年前に終えたはずの「ライトボディ覚醒化コース」の復習をした。
先月の新月の夜から今月の新月までの一ヶ月かけてだ。
この探求は、この生の目的のひとつ、だったのかも知れない。

想念はいかなる領域で育ち、
想念はいかなる領域から現実化するか、を再認識した。
混乱した思考と感情をほぐすことで、
聡明さにいたる道も見いだした。

瞑想の最後に、
わたしたちの中にある光を産むちからを、深く知ることとなった。
わたしたちはたった一度の転生で、
高次の意識に到達することができる。

ライトボディの由来は明確ではないのだが、
ヘルメス、シリウスやプレアデス衝動を受け取る、
クラール、器がわたしたちである。
ひとつの明らかな技術である。

失われた25年のあいだの、苛立ちのもとは、
ライトボディ覚醒を中途にしていたからだろう。
エネルギーを処理できなかったうえ、
外界のエネルギーに、
中立で居ることができなかった未熟さも拍車を掛けた。

翻って、
もういちど、
自分へと確認するのだ。
わたしたちには、
光を産むちからがある。
いつでも、
滾々と放っている。








2018年1月6日土曜日

ヘルメテイカ13

阿蘭陀独活

紀元前に希臘語で埃及に残された、
「ヘルメティカ」の和訳を読んでいる。
ほぼ全篇が、宗教哲学、形而上学を内容としているが、
当時の形而上的空気、表象の形もさらに難渋だ。
前提として、秘儀の場において、
意識の高みから語られている言葉、だと思うべきである。
東西宗教のいずれかの秘儀の場を経験していると、
多少の理解はありえるかもしれない。

ヘルメテイカ13「再生と沈黙の教えについて」。
「隠された歌、第四詩」は、
秘儀の場での、祭文、式文ではないかと言われている。
ヘルメスが子に向かい、

 このことを学んだ今、
 優れたことについて沈黙を守ることを誓え。
 誰にも再生の伝えを明かしてはならない。
 それは
 わたしたちが、あばくもの、とみなされないためである。

と語ったときに、沈黙の重さを知る。
伝えは明かされるものではなく、
秘されるものだ。
逡巡するのだが、
ヘルメティカの輪廻転生そして帰天の秘を書かずにおれない。
ヘルメスはさらに語る。

 これは教えに拠らず、
 沈黙(シゲー)のうちに隠されている。
 
そうして、
沈黙の内に隠されてあるものを見出すには、

 開けた場所に立ち、
 太陽が沈むころに、
 南方に向かって拝せよ。
 太陽が昇るころに
 東方に向かって拝せよ。

というのだ。
「隠された歌、第四詩」は朗誦すべきものだろう。
進化には照射が伴うだろう。
叡知(ヌース)が照射されるためにだ。

 自分のうちにそれをひきつけるのだ。
 そうすれば訪れる。
 意思するのだ。
 そうすれば起こる。
 身体を停止させよ。
 そうすれば神性が誕生する。
 質料のロゴスなき懲罰から、自己を清めるのだ。