2017年10月29日日曜日

指針

歴史館
わたくしはもう酒を飲んでいない。
人を憎んだり、
怒鳴ったり
人を批判したり、
していない。
ましてや、
自己憐憫に浸ってもいない。
リュミエールを探す
穏やかな日々を過ごしている。

あの黄金の仏像の前で座り、自然に肩が降りた時間と、
水澤有一の音楽と言葉が、
わたくしの、詩歌俳と文と、写真の仕事の、
これから、の指針になっているところだ。
いつか天を降ろせる日が来ることを願っているだけだ。
つたなくても、だ。


 売れればいいと思ったり、
 インスピレーションを受けたくて、
 酒やドラッグにおぼれ、
 朦朧となって曲を書く人もいるが、
 それではいい構想は降りてきません。
 心が地獄的では美しい楽想は得られない。

 曲のメロディーの形を突き詰めてどんどん純化していくと、
 結局、心の波動しかなくなっていく。
 だから、自分が本気で信じていること、思っていることしか
 実際、音にすることができない。 

 それはたとえばちょうどボクが気になって精一杯手を広げていると、
 さんさんと輝く太陽(仏)の光がサーッとさしてくる。
 その光によって身体の葉っぱがさらさらとオーケストラのようにそよぐ。
 その音がまさに音楽のイメージなんです。

 仏の神秘感を感じるために、もちろん感性を磨く。
 知性や理性の部分、すなわち音楽理論も磨く必要がある。
 音楽の世界で言う知性とは、和声、メロディー、旋律の力学の理解。
 その真剣な努力が踏み台となって、はじめて仏の世界に飛躍できる。

 カッコ悪くてもいいから、真実の価値に対してHi-Fiでありたい。

 理想を持つ大切さはブルックナーの人生からよくわかる。













0 件のコメント:

コメントを投稿