2017年10月2日月曜日

ノヴァーリス

sage
天界の住民の思想や芸術だけを研究せよ。
天界を地上へ降ろすつもりなら。
そんな聲が最近聞こえてくるようだ。
わたくしのこの歳での、
宗教への目覚めであるけれど、
秋が顕ちて、一段と強くなっている衝動だ。

人智学の祖、ルドルフ・シュタイナーの霊学に再び出会っている。
そうだ。
20歳台の多くの時間を費やしながら、
新聞社で限りない抵抗に遭い、
外的には露ほども、果を生まなかった霊学だ。
そう感じるのは、
「霊学」と規定さざるを得なかった訳者高橋巌の所為だ。
20年を経て再び、高橋巌訳を読むが、
かつては巨人だった高橋巌はしかし、
唯物論者あるいは唯物論の檻を抜けることができなかった美学者。
霊学とはいえ、
彼岸の生を真実とする宗教であるはずを、
むしろ宗教であったなら、
どれほど人を救い、
安心させることができたか。
高橋巌は霊学の本来の目的を知りつつも、
特異な語学力を武器に、
霊学の最終的な目的地を、
隠した。
それは罪、だ。
神秘主義者というレッテルを恐れたな、と。

「シュタイナーコレクション7---芸術の贈りもの」(2004)を読んでいる。
このなかから、わたくしは、
わたくしの人智学的自然写真の根拠を見つけねばならぬ。
わたくしは「シュタイナー衝動」によって視界、視力が明瞭に変化している。
エーテル、アストラルを見る視力が、開発されてしまっている。
それは霊学の書物とそれをめぐる人々との間の活動に、浸ったからだった。
なぜかくも変化しているか、
人智学の書物の中に、いまさらでも探索を開始する。
それでわたくしもわたくしの外の人々を
納得させるためでもある。

まずは、
1921年にドルナッハでの講演録「芸術心理学」で、
ロマン派詩人、
Georg Philipp Friedrich von Hardenbergつまりはノヴァーリスを、美しく語っている。
シュタイナーより100年前の詩人のことだ。
シュタイナーは霊視する。

 ノヴァーリスに「詩的であるとはどういうことか」と問いかけました。
 沈潜すると、ノヴァーリスは、霊界からやってきて、
 日常の散文的な生活を、詩的な輝きで包み込もうとしているようなのでした。
 霊的魂的なものが、空間と時間を包み込んでしまうのでした。

 ある深い根源的な要素が響いてきます。
 この世で、詩の音楽性を、あの故郷から、取り出したのでした。
 音楽的なるものの故郷から離れて、
 音楽的なものを、詩的なものの中に取り込んだのです。
 魔術的観念論によって、
 時間と空間を融合し、
 散文的な現実に巻き込まれずに、
 ふたたび音楽の霊の中に入っていったのです。
 彼は、音楽と詩を深く身につけて、
 29歳でふたたび、音楽の故郷へと帰っていきました。

 音楽家が地上に音を響かせる前に
 音楽の本質そのものが、
 音楽家の本質をとらえ、
 音楽の働きを人間のうちに組み入れたのです。

 ですから
 音楽家は、宇宙のハーモニーが
 音楽家の魂の奥底に、
 意識されることなく、植えつけられていたものを
 音楽として、発表するのです。










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