2017年9月11日月曜日

良経

偕楽園梅林

定型詩人はもともと、
傷つき、失われていく日本語と、
やわらかい大和言葉と、きびしい漢語を、
労わり、守り、蘇らせる使命を持っている。
そのために、
目の前にみえる現実と自分の経験のみを
忠実に記録するのだという間違った考え方をする必要もない。

「狂言綺語」という古い仏教の言葉がある。
誤ったたわ言、むやみに飾り立てた言葉のことで、
和歌や物語などを卑しめていうのに用いるらしいのだが。
平安以後は、
仏教への機縁たりうるものとして価値転換した。

塚本邦雄の藤原良経の秋篠月清集を論じた「冥府の春」に、
ふいに、良経の和歌の特質、
特に妖気性、退廃性を説明する言葉として登場した。

 狂言綺語の毒は、
 霊薬にひとしい効力を発揮した。
 起死回生の、麻薬のような綺語を、
 定家に先んじて、わがものとしていた。 
 定家は、良経に示唆され、触発され、躍らされ、
 体得し、職業の秘密とした。

と塚本の書く内容は、
見ぬ世つまりは冥府と、
現世をつなぐどこかの場所で、和歌をつぶやいている
良経の姿と良経の歌がいかに異風だったか、ということだろうか。
良経は、藤原俊成に和歌を学び、
俊成の歌論書「古来風体抄」で示される、
「狂言綺語観」による幻想的な詩趣を、
引き継いだとも言えそうなのだ。
新古今和歌集が「象徴主義」といわれる理由のひとつが、
ここにあるのかもしれない。









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