2017年8月6日日曜日

心平さん

桂並木の黄葉は真夏にはじまる

磐城郡上小川村の北西に生まれた、詩人の草野心平が言っていた。

 詩は断じてトウル・デスプ(才気の曲芸)ではない。根源、それだけだ。

大変な短気だった心平さんは、
磐中も卒業しなかったし、
慶應義塾予科も放り出した。
だからわたくしの、
厳密なうえでの先輩ではない。

 根源、それだけだ。

詩集「第百階段」序の、
この潔い言葉をここちよく受け止める。
生前を知るものとして、
いかにも、心平さんらしいのだ。

永田耕衣は、根源俳句を唱えたものの、
心平さんのいう「根源」とはだいぶ、違う気がする。
あくまで印象だが。
だから、
根源の意味を探る。

ヨハネ福音書はもともとギリシャ語で書かれたそうだ。その冒頭。

 Εν αρχηι ην ο Λόγος  (En arkhēi ēn ho logos)

ἀρχή (アルケー)は、
古代希臘語で、根源を意味する。
それが羅甸語に訳されると、
principium (プリンキピウム)になったそうだ。
それで、明治の文語訳聖書では、

 太初(はじめ)に言葉ありき。

と翻訳され、名文として香り立つわけだが、心平さんに従えば、

 根源に言葉ありき。

となるはずだったかもしれない。
心平さんの、詩人として求めていった「根源」とは、
ヨハネ福音書でいう「太初」でもあるのだろう。

生地の、阿武隈山系の花崗岩台地。
一度はゆくとよいのだ。
南の阿伽井岳、水石山、背後の二つヤ山は修験の山。
夜毎に空に向かって放たれる、あえかな光がある。
心平さんはそれに感応し続けたのだ。
全身で、
宇宙の力を受け止めていた、とも言える。
「根源」なるものにつながって、
詩人につくられていった心平さんが、見える。














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