2017年8月30日水曜日

邪宗門その4


ヴィリエ・ド・リラダンの翻訳で知られる仏蘭西文学者の、
齋藤磯雄「ピモダン館」(1984)の中での、
仏蘭西象徴主義についての定義が明瞭だった。
それは実に攻撃的、刺戟的だ。

 サンボリズムは奥深い内面生活の暗示を志す。

 詩人の追求するものは、
 感情でも観念でも風景でもなく
 それらのものが、
 内奥にもたらす神秘的な反響である。

 外界の事物は、
 其の奥潜むある実相を暗示する記号だ。
 詩人は、類推によって、
 この暗号を解読する者である。

 この意味で、
 詩歌は単なる芸術以上のもの、
 科学よりさらに真実なるもの、
 認識のもっとも確実な手段となる。

 意識下の、
 冥くも深き統一を形成し
 営まれている内面生活を、
 ふさわしい幽玄な言語によって表現する使命。

 象徴派にあってサンボルは一変し、
 ひとつの秩序から
 他の秩序への完全な置換へとなった。

 サンボリズムのもたらした最大の教えは、
 ポエジーをその本質、精髄において
 把握しようとする不屈の精神であり、
 ボードレールのいう「灯台」となるひとびとにより、
 引き継がれてゆくだろう。

 詩人の使命は、
 もろもろの感覚の相互間の
 関連と類縁を発見し、
 象徴的な意味を示すこと、にある。

 シャルル・ボードレールの十四行詩「照応」は、
 天地創造の統一性、
 創造は物質界と霊界からなること、
 象徴は、物質化と霊界の照応を実現していること、
 共感覚が、さまざまな感覚の照応を実現している。

 かれらは、
 詩句の諧調や律動の効果を重視し、
 アリテラシオンやアソナンスの構成に、
 管弦楽的手法を用いた。
 そして、
 「降神魔術」として、
 言葉を知的内容のためだけではなく、
 音響的喚起の力、音楽的暗示の力のために
 選んだ。

ランボーがなぜ「詩人は見者たらねばならぬ」と言ったのか、
マラルメがなぜ「実存の諸相の神秘的意義の表現である」と言ったのか、
が垣間見える。
翻って「邪宗門」を読むとき、たとえば、

 朦朧体として、
 隠喩が次々続く体系であり、
 音楽の律動と諧調の魔法を説き、
 おのれの感性の反響を読者のうちに呼び覚ます作用。

と前提すれば、北原白秋「邪宗門」の序と例言、

 詩の生命は、暗示にして、単なる事象の説明にあらず。

など一連の自らの象徴詩の説明に、矛盾は見出せないうえ、
十分な咀嚼と共感のうえに、詩集を編んだことが見えてきたのである。
  











0 件のコメント:

コメントを投稿