2017年8月29日火曜日

邪宗門その3

具体的事物をもって、抽象概念を想起させるものが、「象徴」。
こう書くと、俳のようだが。

「夕暮れ」が象徴であるならば、
それが表現するのは、たとえば、次のような抽象概念かもしれぬ。
いのちの終わりの静けさ。
いのちの消滅。
闇のはじまり。
静寂のはじまり。
あるいは死後の安息。
ならば、
マラルメの純粋観念notion purに近い。

仮に命題とするならば、

 夕暮れという象徴を、一冊の詩集としてうたった「邪宗門」。

だとすれば、それは
十九世紀末の西洋の文化潮流を継ぐような仕事だった。
古今の夕暮れの時間をうたった詩歌は、
もちろんたくさんあるのだが。
同集は、ほぼ全編同じ主題の下にある。
綴られた夕暮れの詩句を抜いて、喚起する象徴を見ることにしよう。

 暮れなやみ、噴水の水はしたたる
 外光のそのなごり
 わかき日の薄暮のそのしらべ
 その空に暮れもかかる空気の吐息
 黄昏の薬草園の外光に
 夕暮れのもの赤き空
 やわらかに腐れゆく暗の室
 黄の入日さしそふみぎり
 うち曇り黄ばめる夕
 薄暮の潤みにごれる室の内

このような詩句が「邪宗門」に、
ちりばめられているのだが、
喚起されてゆく抽象概念、象徴は何だろうか。
西欧の象徴詩にとっての夕暮れは、
身を締めるような冷えた秋の夕暮れにも思えるのだが、
白秋の夕暮れはどこか、
南国へ入って急激に身体の細胞が開くような、
暖かさであることに気づく。
滅びへ、腐りへ、
あるいは、これは重要だが、どこかへと戻ってゆく感覚。
回帰する場所を魂が探しているような
それは、

 曖昧な、短い時刻の、朧な大気

が呼び起こす、原型的ものかもしれない。
没落と安息と。
前の世を、前の人生への回想を、誘発するのかもしれない。














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