2017年8月13日日曜日

古代の精霊の


 詩は隠された生の啓示である イエーツ

詩論集「詩と神話」(1965)は星野徹の三〇歳を少し過ぎたころの論だが、
若いにもかかわらず、詩への自己同一をゆるぎないものにしていたことに驚く。
詩の方法も技法もだ。

この詩論で展開されている内容を背景に、
詩歌俳の実作者は、どれほどいるだろう。
原型的イメージから、詩歌俳を分析する批評家がどれほどいるのだろう。

星野徹は書く。

 原型的イメージは、汎民族的な集合的無意識の底に堆積している経験の型である。
 再び意識の表層へ浮かび上がる機会を待っている。

 原型的イメージを、詩的芸術を通じて、呼びさますことができる。

 真に象徴的な詩作品を読むときに受ける感動は、
 作品のひとつひとつのイメージが原型的イメージを呼び起こし、
 原型的イメージが再構成、再表象される過程で成立するものだ。

 古代で近代を照射し、近代のもろもろの経験の原型を古代に求める。

西脇順三郎の詩「失われた時」について、
彼自身の内部に依然として生きている古代的精霊の投影を、
三好豊一郎の詩「夢の水死人」について、
洪水伝説、漂着神信仰を、
草野心平の詩「森」には、
植物靈に対する古代人の感情の同質性を、見出している。

日本の現代詩のいくつかに表出された、
いわば「神話の復活」、「神話の浮上」という意味だろう。
日本の詩歌俳には、ギリシャ神話も、聖書もないから、
人類学が収集再構築してくれる類型を詩領域に借用し、手がかりとし、
経験の原型を追求し、現代を解釈するという方法を採れ、と書いている。

古代の信仰が木霊して、
古代の精霊のシンボルが顕れるのを待つ、
のが日本の詩歌俳の方向ではないか、と。

なぜある詩に、たくさんのひとびとが感動するのか。
そこに原型的なものがあるからだ、と。
だから原型的なものを掘り出す、仕掛ける仕事をせよ、と。



















0 件のコメント:

コメントを投稿