2017年5月5日金曜日

井 月

やまつつじ
石川淳全集第10巻は、
小説の「渡辺崋山」が収録されていて、
立原杏所の、崋山あての書簡があって面白く読んだが、
杏所と崋山の関係については、別の機会にするとして、
天保から明治にかけて生きた、伝説的な俳人の井上井月の、
評論のような随筆のようなものが併録されていた。

昭和5年の「井月全集」と、
雑誌「科野」に掲載された「井月全集拾遺」と、
わずかな伊那谷への旅行、
とによって書いたのだと石川淳自身が言っているので、
随筆であるのか。

前提として、井月の伝説性をつくったのは、
優れた「編集者」がいたからだと思う。
井月の俳の魅力を上回る、力量があったのだと考える。

越後からやってきて、
以後30年も、食客でのみ生き、
最後は野たれ死んだ井月。
井月55歳から65歳にかけての目撃談があって、
いつでも袴を付け、
酒を入れる瓢箪と木刀を腰に差した
とぼとぼのぐづぐすした風貌だったらしい。
鼻つまみの嫌われものの乞食だった。
老俳諧師は、伊那谷で30年、飲酒中毒の、乞食であった。
最後も惨めである。
66歳の二月、
道に捨てられたも同然に、
つぶれたようにくたばった。
行き倒れである。

 風来坊の身柄を最後に引き取ったのは、枯田の中の、道であった。

救いはひとつだけ、ありそうである。

 そのこころいきにおいて、トボトボのグズグズながら、
 遠く蕉風の片雲にぶらさがっていたからに違いない。

元武士の、芭蕉の「幻住菴」を唯一の教えとし、
骨法としての蕉風に
村人たちが、その品を垣間見たのかもしれなかった。

しかし、
常々考えている。
俳諧師だから乞食にまで落ちぶれたのだと。











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