2017年2月2日木曜日

J・M・W・ターナー


美術評論を読むことは、楽しい。
進めているピクトリアリスム(写真の絵画主義)論のためにも、
雑誌や書籍からピックアップし、
いくつもの考えの重なりとの出合いを楽しんでいる。

わたくしは、二〇歳代に、「人智学的絵画療法」を少少学んだ。
ドイツ帰りの加藤庸子さんや吉沢明子さんが開いていたワークショップに参加した。
人智学的絵画はゲーテの色彩論や形態論が、根底にある。
「朦朧体」を調べているうちに、
19世紀半ばに、ゲーテの色彩論が翻訳輸入されたが、
朦朧体、ひいてはその後の日本美術にとって、無縁ではなかったことを知った。

前田富士男は、
ゲーテの「女性像」こそは、ゴヤの「黒い絵」とともに、
近代絵画の幕開けを告げる作品以外のなにものでもない、と書いている。
色彩表現の変容、構造変換のさきがけであったという。

加藤明子の短い論考「J・M・W・ターナーの色彩研究」は、
記念論文集「色彩からみる近代美術」(三元社)の中のひとつだが、
数十の仏語文献を猟捕したうえで、
ゲーテの色彩論とターナーのあの光との、交錯を、描いていて、
結構な盲点を突いた、よい論であると思う。

ターナー晩年の「光と色彩(ゲーテの理論)----洪水の翌朝」は、
ゲーテの色彩論、つまりは霊的な光を、受け入れて、制作したのだと教えてくれた。
朦朧体が生まれる大観や春草の背景には多数の朦朧派の努力があったように、
ターナーの背景の画家たちにもアリストテレス派、反ニュートン派の考え方が広がっていた。

 すべての色彩は、光のなかにある
 相対するものの、葛藤と融合から生まれてくる。

と考えるターナー。

光は闇から生まれるのだから、
闇から影、シェード、反射、屈折を経て光になるようすを表現した。
光の象徴、寓意は黄色。白は光の代替物とした。
この作品は、光の再来、霊の再来が描かれている。

この論考で気になったのは、
第1回万博の会場のひとつ水晶宮で、
フィールドの色彩論に再び注目が集まった、という記述。
それは改めて。











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