2017年1月24日火曜日

堀江敏幸

ベコニア


小説家堀江敏幸のアートにまつわるエッセイ集「仰向けの言葉」(2015)を読む。
関心をもった理由は、まずは、上品なゆったりした本文組であり、
短い文章、短い思索を、くぎりながらつなげていっているからで、
小説家のエッセイの構造、つくりかたも知りたいと思ったからだった。

「レンズの半過去形で----ロベルト・ドアノーⅡ」は図録のために書いたものだろうか。
30個の短文でできている。アフォリズムのような短い思索もあった。
それぞれの短思索はというと、書き出しの文章が命題であり、謎掛けである。
そこから、その答え、結論を探している、らしい。

短思索はたとえば、次のように、

 「記憶はつねに現在形である」
 「ドアノーが写真を撮るに際して、影響を受けたのは、写真家でなく詩人である」
 「喜びは町のなかにある」
 「すべての出会いが、すべての偶然が重要なのだ」
 「ドアノーが郊外を撮影したのは、そこに愛があったからである」
 
印象的な言葉で始まっている。
あとはその思索を膨らませ結論まで、歩く。
なるほど、これも方法だ。
そして最後になって、自身の小説「郊外」に、
ドアノーとサンドロールの関係を書いたことを打ち明けている。

考えてみれば、書きたいことを素直に書いている。
多くのドアノーの挿話は、よく知られたものだろう。
控えめながら、好奇心を抱いた対象を細やかに描いている。
この速度感。
緩やかな頭の歩行の跡。
その跡はそのまま、いくつものアフォリズムに変容している。
アートを書くことは難しいと思う。
エッセイは、詩的なことばを織り交ぜ、積み重ねていく作業か。














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