2017年1月13日金曜日

詩的カノン


引き続き、
古今和歌集第八四番の
らむ
を考える。

紀友則は「み」音への愛好があったそうだ。
「み」「む」「も」「の」「よ」という
「やさしい字」を句末に置くと、
和歌らしいなだらかな「つづけよう」を生むものだと
「冷泉家和歌秘々口伝」に記されているそうだ。

山中桂一「和歌の詩学」(大修館)を読む。
ローマン・ヤーコブソンやフェルディナンド・ド・ソシュールの記号論を
消化した山中が、この歌を分析した。

正直なところ、
ちっとも本質に近づけないでいる俳句評論の数々に
辟易とした思いが芽生えていたところだった。
つまりは論が、
学問的な洗礼を受けているかいないかの違い。
たとえば、
「新古今で、日本詩歌は、象徴詩へと舵をきった」
とある俳人はさらりといったが、
とても重要なことを、
一行で終わりにするのか、俳人は、という思い。
軽くないか。

さて
この歌は、記号論から見ると、
10を超える形態的特長が
浮かび上がってくるそうだ。
そのなかでも
Fの頭韻があって、それが
和歌の意味合いを緻密にしているそうだ。

 Fisakata no
 Fikari nodokeki
 Faru no Fini
 Shizu gokoro naku
 Fana no tiru ramu

歌の生成過程を復元しようとする
山中の思考力にはついていけないが、
漸くひっかかってくれたのは、
F音の反復、繰り返し。
それは「詩的カノン」というもの。
この歌は
カノンが鳴り響いている、らしい。

 ひさかたの
 ひかりのどけき
 春の日に
 しづごころなく
 はなのちるらむ










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