2016年12月26日月曜日

餅を食べぬ家


奥常陸では、正月に餅を食べない家がある。
その謂れは、戦国時代の終わり、佐竹氏の秋田左遷にある。
佐竹の血を引く家々のうち、常陸国に残らざるをえなかった家は、
その時から、餅を里芋に変えた。

常陸大宮の宇留野さんという家は代々そうだった。
宇留野氏は中世に遡る佐竹の血族、というのは自明だ。
「うちの父の代まではそうしていた」と、娘さんから話を伺ったことがあった。

民俗学でいうところの「餅なし正月」だ。
安田喜憲編「山岳信仰と日本人」にくわしいが、
正月の儀礼食を餅ではなく芋にするという地域が点在するという。
門松も立てない。

坪井洋文は、「稲作文化以前の名残ではないのか」という説を立てている。
芋への価値は、米をしのぐ、という意味だそうだ。
文化、暮らしには、重層性があるのだということらしい。

五来重はたしか、
米を主食とするひとびと、そうでない雑穀を主食とする人々が、
実に長い間、列島に分かれていた、と言っていた。
むしろ、米を悪と捉えてかたくなに拒否したひとびとの流れは、
山の民だったという。

千葉徳爾は、非稲作民の古い文化の名残というよりも、
「餅を食べぬ家」とは、
世間一般とは異なる「由緒正しき家柄」を誇示する特殊性だとしている。
奥常陸での由緒正しき家柄、はいうまでもないことだ。

それにしても、
当主の決意が少なくても四百年も持続している。
たった一つの決意、誓いがだ。
そのとき血族に起こった出来事の重さ、を感じざるを得ない。
ただ、なぜ正月、なぜ餅なのかはわからない儘だ。

わたくしのささやかな決意は、
五百年後まで、影響するのだろうか。














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