2016年11月25日金曜日

大峯あきら


俳人で哲学者で真宗僧侶の大峯あきらが、次のように言っている。

 すべてのモノは、季節のうちにある。
 わたしを貫いている推移と循環のリズムのことである。
 モノはこれから自由になれない。
 モノは季節的存在である。   
                

堂々とした言葉だ。
自然に応ずることは、後ろめたいことではない。
怠け者、と後ろ指指されることでは決してない。
自然に感応しがちなひとにとって、
俳句は、怠け者という呪縛を取るために必要だ。
だからといって、
単なる写生やスケッチじゃ物足りない。
モノに応じて、モノに感じ、
考えて、悪戦苦闘して、突き抜けた瞬間が俳なんだと。
そう言っている。

 季節の詩においては、
 われわれは決して宇宙の中心ではない。
 すべての物たちと共に、
 一つの宇宙線によって貫かれているのである。 (詩歌文学館賞受賞挨拶)

大峯あきらは、口をすっぱくしつつ同じ言葉を言い、私はそれを繰り返し読む。


                                                                                (千波公園の楓)










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