2016年10月29日土曜日

高安国世


冷たい雨降る夜半に起き出して、アララギの高安国世の短歌を読む。
初期の1945年頃の歌。
自我を強烈に出すことのいそがしさにかまびす現代短歌から隔絶した感があった。

  深きしげり出でて仰ぎぬ木幡山いま夕光の淡きみどりを
  色となき空ひといろに見えてをり風凪ぎはてし夕の窓に
  もろこしの葉むら茂れる窓の外は暮れし暫く白き光あり
  しずかなる光満ちくるわが庭のひともと樅の陰の中にをり

「見えるもの」を詠うのではなく、
眼前の形象を通して、
そのかなたに暗示される非在の本質へと迫った、
リルケ研究の成果。
リルケ「ロダン」の解説文で、高安が書く。

 その対象の本質に直入し、
 その物自身をして、
 その内から歌いださせようとしたことは、
 多くの詩から知られる。

この考えを、自らの短歌へと転換させていった高安の努力。










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