2016年10月18日火曜日

きくちつねこの場所

水戸市那珂川の雨の朝


大正生まれで、北茨城大津港の、俳誌「蘭」の主宰だった、
きくちつねこは、周囲から魅力的な女流俳人だったようだ。
存命中に、わたしがもっと俳に理解があったなら、
取材を名目に親しくなれたはずだ。残念だ。
加えて、水戸から渋滞の日立を抜けてゆくのは折れる。

きくちつねこが通った女学校は、わたしの磐高の、渓をはさんだ東側にあった。
平駅から鉄路を超えて、旧城跡を抜けていく通学路は、
男子高、女子高の生徒が、双方を意識しながら同じ方向に歩いた。懐かしい。

吟行のお気に入りの場所を時々、句集、自註句集で披瀝していた。
落鮎の、ちょうどこれからの季節は、
いわき市沼部がお気に入りだった。
阿武隈山系の入り口の、山に囲まれた集落。
わたしも何度も通った場所だから、よく知っているので、驚く。
北茨城、高萩の山の中にもよく入ったようだ。
わたしにもなじみのある土地で、
佳句を生み出していったのだということだけでも、うれしい。

それにしても、
思いを最後まで秘めた息苦しさ……が、
きくちつねこの俳を支配している。
二〇年も寝たきりだった、
前主宰の野沢節子の激しさとは
句の傾向は、正反対に、丸ろいけれど、しかし。
たとえば、
 
  肌にのこるおもひや雨の濃あじさゐ
  青葡萄身ぬちに泉あるを覚ゆ
  草の色濃うする雨や逢うを約す
  別れすぐあるを火鉢の炭つぐ
  火の紐を結び結びて曼珠沙華
  逢えば身に力加わりし雁渡し
 
一度短い結婚生活はあったが、
自身は最後まで清廉なひとであった。
しかし、このような艶な句が、つやかしい一方で息苦しい。

 迸るものをおさへつ居待月

息苦しさを解き放つことはできなかったものか。










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