2016年9月15日木曜日

アニミズム




哲人・山尾三省の「カミを詠んだ一茶の俳句」を読む。
俳人一茶の句を通底するというアニミズムを読み解く試みだ。
最終的には山尾の仏教、インド哲学への言及、を避けることはできなかったが、
俳句のアニミズムについて、
十分すぎる理解を与えてくれた。


森羅万象には霊魂が宿り、それがカミと呼ばれる。
山尾が語る。

 季語の背後には、季節という大いなるカミが巡っている。
 そのカミはさらに地球、太陽系、銀河系の大いなるカミに直結してある。

 季語を入れねばならない無言の約束の背後には、
 季節の諸現象というカミガミの無限な営みを、
 詠む詩の形式だという共同幻想があった。

 俳句は、中核に、季語というカミを必須の条件として要請している。
 無季にあっても、季語に代わる何かのカミが詠み込まれている。

 俳句は、その詠まれた風景が、カミと呼びうるほどに深いものとして現れるときに、
 結果として佳句として、成就する。
 無意識的にせよ、カミを感受して詠んだときに、成就するものだ。
 その瞬間を逃さず定着する、万人に開かれた文学形式である。

 小学生でも俳句はつくる。
 季語という約束を踏んで詠むとき、
 一茶と同じく、それと明確に自覚しないままに、
 子どもたちのパーソナルな、小さなカミガミに、
 事実としてかかわっているのである。


こうした前提に一章を費やし、かなり詳しく明瞭にして、一茶の句に入っていく。
 
 蝶とぶや しなののおくの 草履道

山尾はこの句に、蝶にあらわれたカミを見るのだ。


アニミズムによって、俳句は、新しい局面に入っている。
近年の関心の高まりによって
小澤實だけではなく、山尾三省によっても、
俳句の存在理由が明白にされていく。
山尾は小澤への共感も書いている。
だが「異界」については、小澤が信大学生時代に、
民俗学の小松和彦が人文学部の助手としていたのも大きいのではないか。
金子兜太のいうアニミズムは後付けのようなもので、
本人はそれまで無意識、なにしろ、サヨクの俳人は、社会転覆ばかり考えていた。

俳句とアニミズムについての言及はすばらしい。
それまでの句をつくるうえでのもどかしさを解消してくれたのだから。
ぼくらは、カミガミと触れたとき、実に幸福なのだ。
山尾はそう言っている。

                                                                  (蕎麦、水戸農高構内)




















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