2016年9月3日土曜日

光の階調



高山正隆の「楽器を持てる女」(1925)が、
広隆寺の国宝「弥勒菩薩」の横顔とよく似ていることに気づいた。
高山は意識していたのだろうか、していなかったのだろうか。
作品のイメージの源がどこにあるか、意識的な作家は少ないだろう。

高山は、明治末から大正まで、
さらに昭和になって植田正治が「白い風」で引き継いだ、
写真の潮流「ピクトリアリスム」の写真家の、主要なひとりだ。
ピクトリアリスムは「写真の絵画主義」と訳される。

「ベス単派」の彼らの目指していたものは、

 絵画に近似してはいるものの、
 絵画の手技の代わりに、
 光線とレンズ、印画紙を用いる。

福原信三はピクトリアリスムを、
「光と其の階調」の表現、と位置づけた。
光にはにじむような階調があって、その諧調の美しさを表現したい。
1920-30年にピークを迎えた。

その後は土門拳などの目玉のぎょろりとした連中、
社会主義、自然主義に負けてゆくのではあるけれど、
軟調レンズによる柔らかさの表現は、
日本美術における横山大観らの「朦朧体」と同じものかもしれない。

 モノと光のあいだには境界がないこと。
 エーテルが媒介していること。
 にじむことはつながること。
 階調はごく自然なこと。

軟調の「楽器を持てる女」は何を表現しようとしたのか。
弥勒菩薩の
「梵」だろうか、
「巴」だろうか。
それは、「慈しみ」ということではなかったろうか。


                      「1920-1945」(写真弘社)より











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